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    球渓の銅像製作者

     人吉カルチャーパレス前庭に、球渓の銅像が建っている。製作を依頼された岩越文雄氏、球渓の立体像をイメージしようとするが、なかなかつかめない。そこで遺族に「球渓先生の頭を横から写した写真はありませんか?」と要求した。犯罪者などは頭を横から写されもしようが、そんなものはない。ところが一枚の未完成の絵があり、これが大いに役立った。ピアノに向かう球渓の横姿である。これがイメージ作りを一気に進めることになった。
    松岡次賀画伯のこの絵、筆者は兄と二人で、画伯が筆を運ぶ様を近くで見ていたのだ。洋間のピアノの上に架かっているあの絵である。なぜ未完成なのかはわからない。
     岩越氏の祖父岩越充内は明治9年の神風連の乱に参加し自決している。何と球渓の妻ミノの祖父西尾徳太もこの乱に参加し、戦敗れて玉名の地で仲間二名とともに自害したが、その場所をつきとめ《神風連三烈士自刃の地》の碑を建立した(題字は初代熊本県文化課長田邉哲夫氏の揮毫による)。玉名市梅林の日清陶器工場内で、藤田社長の温かい計らいによって実現した。

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    「俺が勝ったぞ!」

     球渓夫妻は世間の人から「ノミの夫婦」と言われたように、球渓は小男だったが結構力は強く、相撲を取らせるとなかなかのものだったようである。晩年は年二回開かれる大相撲のラジオ実況放送を楽しんで聞いていた姿が脳裏に浮かぶ。
     相撲について、私の叔父に当たる球渓の三男信男から以下のような話を聞かされた。――東京音楽学校時代、有閔学舎に起居していたが、ある日そこに泥棒が侵入したことがあった。その時小男でありながら球渓、果敢にその泥棒に組みつき、組んずほぐれつしていたが、遂に球渓はその泥棒を投げつけた。その時吐いた言葉が振るっている。「おい、竹下! 俺が勝ったぞ!」――取り組んでいるうちにいつのまにか相撲を取っている気分になっていたらしい。泥棒はそそくさと逃げ去ったそうだ。球渓と同室だったその竹下は、のち熊本工業学校の校長をつとめ、そのころ球渓の三男信男は熊本工業学校の寮生だった。卒業する寮生の予餞会の席で「実は、今ここにいる犬童君の父上球渓氏と僕は学生時代同じ部屋で過ごした仲だが、こんなこともあった。」とみんなに話したのだった。
    信男の誕生日は3月20日――父親と同じ月日である。これも珍しいのではないか。

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    数字譜と五線譜

     高等小学校時代(11歳~14歳)のノートの断片(和紙)に楽譜が毛筆で書かれている。数字で 1355-3510 などと。1はド、3はミ、5はソを示している。0は休止符、-は音をのばす。これは数字譜とよばれ、今でもこの表記で楽譜集を発行してもいる。私たちが楽しんだハーモニカの譜はこれだった。
    当然 6(ラ)・7(シ)もある。初心者用に指番号を入れてある楽譜と混同して、これを指番号だと勘違いしないで欲しい。でないと0・6・7の説明が出来ない。
     後年、熊本の小学校の研究授業のあと、この数字譜について参加者からの質問があり、助言者だった球渓が自分の意見を述べている教育雑誌所収の論文を筆写した田邉隆太郎のノートを見たことがある。当時の学校教育では五線譜と数字譜と併用しても構わない、と言うのが球渓の意見のようだった。
    明治5年の学制で、唱歌という科目は定めたものの「当分コレヲ欠ク」としてあった。この科目を指導できる教師の養成がおくれていたからだ。それから10年以上経ってはいるが、この片田舎の球磨高等小学校にも数字譜で歌を教える能力のある先進的な教師がいたわけだ(名前はわからない)。もし「先祖に明治20年代に音楽を高等小学校で教えていた者がいる」という情報をお持ちでしたらぜひとも御伝授賜りたい。
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    10月1日

    すでに、見学にみえたり、レンタルスペースをご利用になったりと、多くの方に足を運んでいただいております犬童球渓記念館ですが、このたび10月1日にソプラノ歌手の福嶋由記さんの「日本の歌コンサート 雪月花」を行うこととなりました。
    とくに開館行事のようなものは設けていなかったので、このコンサートをオープニングコンサートとして盛り上げたいと考えております。福嶋さんの美しい歌声で、なつかしい日本の歌の数々を楽しむことのできるこのコンサートは、犬童球渓記念館の幕開けにぴったりだと感じております。
    18時開場、18時30分開演です。土曜日ですので、比較的みなさん都合をつけやすい日程ではないかと思います。
    チケットのお問い合わせは、TEL & FAX 096-357-7140 まで。みなさまのご来場をお待ちしております。
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    『どぅぎゃん』ただ今、発売中!

    現在、書店、コンビニなどで発売中の『どぅぎゃん』10月号(メガネとカンパチのあら煮の写真が表紙です)に犬童球渓記念館の記事が掲載されています。
    恥ずかしながら老夫婦の写真も。。。
    お買い求めいただければ幸いです。

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    1回も休みなく今年で70回

     昭和22(1947)年にスタートした犬童球渓顕彰音楽祭は今年まで一回も欠けることなく実施されてきた。そもそも国民みなが飢餓に苦しんでいた年にスタートしたのだから、何事が起こってもそう簡単には中止しなかったのだろう。昭和40年の大水害の時も、天皇御諒闇で歌舞音曲が自粛された年も、今年の大地震でも中止されることはなかった。関係者の英断によるものだろうが、大いに敬意を表したい。 この音楽祭の前身は、球渓が退職した昭和10年、有志らが集まった球磨音楽同好会主催で開いたもので、《犬童球渓先生教育音楽功労顕彰大音楽祭》の名であった。人吉と多良木の二か所で行われた。まだ球渓生存中の出来事である。発案者は田邉隆太郎・西橋(深水)久美子・出田了・桑原俊郎・鳥飼治二・谷口格の6名である。戦後、それがいくらか形を変えて再開されたものが今の犬童球渓顕彰音楽祭だといってよい。
    球渓の教え子でもあり、この年4月音楽学校を卒業すると同時に球渓の後任として母校に就職した西橋氏、夏休みに熊本市での何かの講習受講のため、人吉駅で列車に乗ったところ田邉氏と一緒になり、こういうことをしようと持ちかけられ二つ返事で同意した、と当時の思い出を語ってくださった。(彼女は、のち深水彦馬氏と結婚した。媒酌は球渓夫妻)
     現在はA.個人コンクール・B.郡市内各学校の音楽祭・C.一般音楽グループが参加する《音楽の広場》・D.碑前祭と三日間行われる。小規模校や分校では、教師も保護者も生徒といっしょに舞台に上がり、聴衆を快い雰囲気に浸らせてくれる。
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    大正2年 工事記録

    和綴じの長帳が展示されている。大正12年にこの家が建築された時の記録だ。大工の名前、材料仕入れ先、労賃、等々が球渓自身の手で書かれている。もちろん、大部分は球渓自身の毛筆。
    工事の最中に叔母なる人物が脳溢血で倒れそのまま他界し、工事を中断したとある。実は93年後の今年(2016年)の改装工事の最中にも、なんと施主の犬童トシが、改装工事の完成を見届けることなく96歳で天寿を全うした。
    大正12年の工事中にも、今回の改装工事の最中にも、共通する天変地異が発生した。関東大震災そして熊本大地震だ。この記録帳には、この工事中に球渓に4女ミナが末子として誕生したことも書かれている。彼女は後年、6歳で早逝するが、「兄弟姉妹の中では彼女がもっとも頭脳優秀だった。」と50年後に兄弟たちが語り合っていた。今年の改装工事中には、身近なものの出産はなかった。(「球渓歌集四季」に収載されている「亡児(なきこ)の写真(うつしえ)」は、その心境を余すところなく語っている。曲は長調なのに胸に迫る詩だ。
    今回の改装に当たった棟梁は〈天井板を外してみたら、素晴らしい梁が現れたので、これが見えるように工事を一部変更させてください。〉と申し出て、天井をぐんと高くしてある。建物のそうした部分も観ていただくとありがたい。
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    粗大ゴミか宝物か

    「若い時に使った足踏み式オルガンがあるけれど、あなた貰ってくれない?」と一老婆(失礼、かってのモダンギャル?)から持ちかけられたX氏、ひそひそと私に相談――「この犬童球渓記念館に置かせてもらえまいか?」との打診。「そうですねぇ《昭和初期のストップがたくさんついている、当時としては最高の足踏みオルガン》として、あの洋間に置いてもよいのじゃないでしょうか。」 まだそのオルガンは未到着だが、乞 御期待。
      
    あの部屋には古いアップライトピアノが1台置いてある。製作番号を確認したあと、この鍵盤に触れてみたあるピアニスト、「これは素晴らしい!鍵盤のタッチが滑らか!」と絶賛された。鍵盤の象牙は何枚か剥げ落ち、肝腎要の弦も何本かは切れて音がでない鍵盤もあるのに・・・・? どシロウトの私には粗大ゴミにしか見えなかったのだが、調律師からは「なまじっか手を入れるより、そのままのほうがかえって価値がある」と言われるくらい、実は大変な宝物であるらしい。「犬童球渓使用のピアノ」として展示してあるので、機会があったらこの宝物にも触れてみませんか。いや、いずれ収納されるあのオルガンもきっと素晴らしい宝物だと思う。何だか「猫に小判」といわれそう。
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    玉名からたくさんのお客様が!

    玉名在住時からの知人(広瀬顕美さん)とその仲間たちが、人吉観光にみえ、記念館にもお立ち寄りくださいました。
    おかげで記念館は、観光地のような賑わいに!
    みんなで記念撮影もいたしました。
    こういった団体での来訪も大歓迎です。
    ふっこう割で人吉観光は増えているようなので、ぜひ犬童球渓記念館にもお立ち寄りください。

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