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    続々とマスコミ掲載されています

    先日取材にみえた熊日の記事が、10月26日に掲載となりました。
    この記事を見て、ご連絡いただいた方も何名かおられます。
    本当にありがたいことです。
    ますます犬童球渓記念館が周知されますように祈るばかりです。




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    大忙しの1日

    昨日(10月21日)は、記念館も千客万来という感じの忙しい1日でした。
    まず午前中には、「広報ひとよし」が取材にみえました。
    こちらの話を丁寧に聞いてくださり、おそらく取材時間が、予定を大幅にオーバーしたのではないかと思いますが、最後まで笑顔で気持ちのよい取材をしていただきました。

    広報ひとよし

    午後には、球磨地区から20名の団体でのお客様が来館。30分ほど説明をさせていただき、あとは自由に館内を見学してもらいました。みなさん、とても興味をもって見学していらっしゃいました。

    最後に、熊本日日新聞の取材までとびこみ、本当に忙しくも充実した1日となりました。
    少しずつ、「犬童球渓記念館」の存在も周知されてきているように感じます。

    来月には、犬童球渓顕彰音楽祭も行われます。
    より多くの人に、犬童球渓記念館を知ってもらい、訪ねてもらう契機になれば、と願ってやみません。

    団体さん

    梅澤家と犬童家

     球渓の遺骨は西間の墓地に納まっている。犬童家梅澤家累代之墓という墓   標が刻まれた寄せ墓である。梅澤家とは何か? 両者の関係は?
      今、球渓記念館の建っているところが梅澤家の屋敷であった。東隣の犬童家とともに中堅の自営農家だった。そこの娘ケサが犬童新作に嫁ぎ、そこの二男として球渓(信蔵)が生まれている。ところが梅沢家にはあとを継ぐ男の子がいなかったため、〈お前のところの二男をうちの養子に呉れないか〉という話になり、両家共に了解していたのだった。
      球渓は当然そのことを知らされており、自分は梅澤家を継ぎ農家として生きて行く運命を何の異存もなく受け入れていたのだった。ところが、球磨郡民の期待を負わされて学問を積み重ねることとなり、彼の詩作が全国区に流布し、いまさら姓を改めるのも面倒だったのかそのままにしていたらしい。
      そこで、彼なりの責任を感じてか、長男の信一を梅澤家の養子とした。ところがそのことを信一本人に伝えることを何となくずるずると延引していた。徴兵制の時代なので、男子には徴兵検査や折々に点呼もあった。ある年の点呼の際、正式な戸籍名で「梅澤!」と呼ばれるが返事をしない。順番は自分の番だ、後ろの者が「お前じゃないのか」と背中をつつくので、遅ればせながら
    返事をしたという。検査官からは大目玉を食らい、あとで父にそのことを話すと・・・・「お前にはまだ言っていなかったか」
      
      手紙やはがきにみられる几帳面すぎるくらいこまやかな筆遣いなのに、これとはあまりにもかけはなれていて異様だ。忘れていたのか? 何となく言い出せずにいたのか?それはわからない。
      信一本人に聞いてみた。「自分の姓が梅沢だとわかったときどんな気持ちだった?」「こどものころ、周りから《インド人のクロンボ》とからかわれていた嫌な思いがきれいに晴れてすっきりしたよ。」との返事だった。

    IMG_4821家

    銅像建立の原動力は女学校の卒業生たち

    前稿の球渓銅像の造立は球渓没後50年にあたる平成5(1993)年のことであるが、この事業の推進力となったのは、旧人吉高等女学校の卒業生たちだった。雨の日も猛暑の日も、寒風吹きすさぶ日も、市内で何らかの音楽関係の行事が開かれる度に、御老体を鞭打ち、募金箱を持ってそこに立ち、いくらかの基金を貯めて市当局に持参し「これを足しにして是非球渓先生の像を建立して欲しい」と働きかけ、実現したものだ。
     社会のリーダーとして活躍する男性ではなく、むしろ社会の裏側や底辺にあり、下方で世の男性を支えながらも自由な金銭を左右できる機会など少なかった女性の方々が中心であることを高く評価して欲しい。この同窓会の名称は「尚藍会」といい、その名付け親は球渓であった。そのリーダーたちはいずれもすでに当時70歳代・80歳代の方々だった。(中心は加登住ナミ氏) 

    IMG_5940.jpg

    オープニングコンサート、大盛況!

    10月1日の「福嶋由記 日本の歌コンサート 雪月花」は、会場が満席になる大盛況のうちに終わりました。
    犬童球渓記念館の雰囲気と福嶋さんの美しい歌声、伴奏の藤本史子さんの素晴らしいピアノが、絶妙にマッチした素敵なコンサートとなりました。
    福嶋さんが心をこめて、一語一語を大切に歌ってくださった「日本の歌」たちは、聴き手にとってはどの曲もなつかしく、思い出深いもので、それぞれの胸にしっかりと届いたと思います。
    人吉でのコンサート、そして、犬童球渓記念館のオープニングということで、「旅愁」もプログラムに入れてくださり、「夢路に」ではなく「夢にも」と歌っていただけました。

    コンサート開幕に先立っては、僭越ながら館長の挨拶もさせていただきました。
    犬童球渓記念館のオープニングにふさわしい、心温まるコンサートだったと思います。
    今後も、こういった催しを、当記念館で開催していきたいという思いを強くしたコンサートでもありました。

    館長

    会場1
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