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    梅澤家と犬童家

     球渓の遺骨は西間の墓地に納まっている。犬童家梅澤家累代之墓という墓   標が刻まれた寄せ墓である。梅澤家とは何か? 両者の関係は?
      今、球渓記念館の建っているところが梅澤家の屋敷であった。東隣の犬童家とともに中堅の自営農家だった。そこの娘ケサが犬童新作に嫁ぎ、そこの二男として球渓(信蔵)が生まれている。ところが梅沢家にはあとを継ぐ男の子がいなかったため、〈お前のところの二男をうちの養子に呉れないか〉という話になり、両家共に了解していたのだった。
      球渓は当然そのことを知らされており、自分は梅澤家を継ぎ農家として生きて行く運命を何の異存もなく受け入れていたのだった。ところが、球磨郡民の期待を負わされて学問を積み重ねることとなり、彼の詩作が全国区に流布し、いまさら姓を改めるのも面倒だったのかそのままにしていたらしい。
      そこで、彼なりの責任を感じてか、長男の信一を梅澤家の養子とした。ところがそのことを信一本人に伝えることを何となくずるずると延引していた。徴兵制の時代なので、男子には徴兵検査や折々に点呼もあった。ある年の点呼の際、正式な戸籍名で「梅澤!」と呼ばれるが返事をしない。順番は自分の番だ、後ろの者が「お前じゃないのか」と背中をつつくので、遅ればせながら
    返事をしたという。検査官からは大目玉を食らい、あとで父にそのことを話すと・・・・「お前にはまだ言っていなかったか」
      
      手紙やはがきにみられる几帳面すぎるくらいこまやかな筆遣いなのに、これとはあまりにもかけはなれていて異様だ。忘れていたのか? 何となく言い出せずにいたのか?それはわからない。
      信一本人に聞いてみた。「自分の姓が梅沢だとわかったときどんな気持ちだった?」「こどものころ、周りから《インド人のクロンボ》とからかわれていた嫌な思いがきれいに晴れてすっきりしたよ。」との返事だった。

    IMG_4821家

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