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    代用教員

    食料難の時代に「代用食」という言葉があった。人間の命を維持するための食料を、本来の食料以外のもので代用するという。そんなことができるのか? 出来ればもうそれは代用ではない。立派な食料だ。イモ――それは食料だ。アンデス山中の住民にとってはジャガイモは主食だ。米とか麦を主食としている民族が、ジャガイモのことを代用食と呼ぶのは間違ってはいないか。
    今日は「代用教員」ということば。正式な教員免許を持たずに教壇に立つ教員のこと。正教員以上に情熱を持って生徒のことを真剣に考えてくれる代用教員が結構いた。
    球渓も高等小学校卒業後、恩師の推薦で一時代用教員をしている。その後正式な教員になるため師範学校に進むが、彼と同じく代用教員をした後、師範学校に進んだという経歴の友人が結構いた。終生の友となった高木古泉(本名 左直)もその一人だ。彼は菊池郡の出身で、師範学校を卒業した後、東京美術学校に進み、在学中に中等教員の資格を取ってしまい、そこを中退して中学校の教員になり、家族を養っている。
    彼が球渓のことを思って詠んだ和歌がある。


    そういう古泉に、球渓の遺族は碑文の撰文と揮毫を依頼している。

    有名な書家・文人にではなく、師範学校時代以来の最も故人の人となりを知る人物に依頼したのは正解だったと思う。
    中央志向ではなく、たえず田舎へ、故卿へ、身体も心も向けていた球渓を肯定的に認めていた人物である。 球渓が所要で上京する時はたいていこの高木の家に止宿したようだ。そのお礼はミノ夫人の手で仕立てられた浴衣。夫人は和裁の先生をしており、自宅にも嫁入前の娘さんたちが裁縫を習いに来ていた。子どもだった私もいつのまにかクジラ尺なんて言葉を覚えていた。
    IMG_5973.jpg

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