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    2016年最後のイベント

    ブログの更新が滞っていました。
    昨年末~新年になってから記念館でもいくつかの動きがありました。
    少し紹介していこうと思います。
    2016年最後のイベントとなったのが「高場俊郎氏のオカリナコンサート」でした。
    美しいオカリナの音色と迫力のある歌声。
    とても素晴らしいコンサートでした。
    高場氏の主宰する歌声サークルに私も参加していることから、コンサートの中で時間をとっていただき、「犬童球渓記念館を支える会」の案内もさせていただけました。

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    代用教員

    食料難の時代に「代用食」という言葉があった。人間の命を維持するための食料を、本来の食料以外のもので代用するという。そんなことができるのか? 出来ればもうそれは代用ではない。立派な食料だ。イモ――それは食料だ。アンデス山中の住民にとってはジャガイモは主食だ。米とか麦を主食としている民族が、ジャガイモのことを代用食と呼ぶのは間違ってはいないか。
    今日は「代用教員」ということば。正式な教員免許を持たずに教壇に立つ教員のこと。正教員以上に情熱を持って生徒のことを真剣に考えてくれる代用教員が結構いた。
    球渓も高等小学校卒業後、恩師の推薦で一時代用教員をしている。その後正式な教員になるため師範学校に進むが、彼と同じく代用教員をした後、師範学校に進んだという経歴の友人が結構いた。終生の友となった高木古泉(本名 左直)もその一人だ。彼は菊池郡の出身で、師範学校を卒業した後、東京美術学校に進み、在学中に中等教員の資格を取ってしまい、そこを中退して中学校の教員になり、家族を養っている。
    彼が球渓のことを思って詠んだ和歌がある。


    そういう古泉に、球渓の遺族は碑文の撰文と揮毫を依頼している。

    有名な書家・文人にではなく、師範学校時代以来の最も故人の人となりを知る人物に依頼したのは正解だったと思う。
    中央志向ではなく、たえず田舎へ、故卿へ、身体も心も向けていた球渓を肯定的に認めていた人物である。 球渓が所要で上京する時はたいていこの高木の家に止宿したようだ。そのお礼はミノ夫人の手で仕立てられた浴衣。夫人は和裁の先生をしており、自宅にも嫁入前の娘さんたちが裁縫を習いに来ていた。子どもだった私もいつのまにかクジラ尺なんて言葉を覚えていた。
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    ルーティン

    人吉高女の正門は北向きに立っている。それとは別に校舎の西端に建つ寄宿舎から運動場をへだてたところ、校地の西南端に西門(裏門)があった。 球渓の自宅はここから出入りすると距離が短く、断然便利だったのでもっぱらそれを利用したようだ。どうしてそれがわかるのか?口承ではあるが次のような貴重な資料があるからだ。
    当時寄宿舎の寮生だったある方(特に名を秘す)からこんな話を聞いたことがある。――「犬童先生はこの裏門からお帰りになる時、その途中のあぜ道で必ずあることをなさる、と寮生の評判になった。」と。そう、立ち小便をするのが常だったのである。「みんなこっちの窓際に来んナ。犬童先生の帰りヨンなッバイ。もう、そろそろしなるバイ。」「立ち止まんなった。ホラ」と・・・・ 正門からの退勤ではとてもそんなことはできない。
    球渓本人は未だにそれを見られていたことを知らないはず。同窓会などの席で「先生、実はあの時わたしたち寮生は・・・・」などと告白するようなはしたない生徒を育ててはいなかったから――
     今、校地は人吉一中になり運動場は拡張され、そのあぜ道だったところは舗装され家が立ち並んでいて、とてもそんなことはできない。懐かしい佳き時代だったのだ。
           

    献花

    碑前祭でいただいたお花は、その足で球渓の墓にお供えしてきました。
    こんなに立派なお花に、少しこそばゆい思いをしているのではないでしょうか。
    寒く、霧も深い人吉らしい朝でしたが、今はとても気持ちのいい天気になりました。
    本日は、カルチャーパレスで球磨郡市の学校発表会が行われています。
    そして、6日には、顕彰音楽祭のメインイベント「音楽のひろば」が行われます。
    カルチャーパレスで午後2時開演となります。ぜひ足をお運びください。

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    碑前際が行われました!

    犬童球渓顕彰音楽祭の一環として毎年、行われている碑前祭が今年も行われました。
    11月のこの時期に、朝8時半から屋外で行われるイベントはかなり寒いのですが、今年も多くの市民のみなさんに
    ご参加いただけました。
    松岡市長の挨拶の中で、犬童球渓記念館オープンにも触れていただき、今後ますます来訪者が増えてくれれば、と感じました。

    球磨郡市の小中学生も多く参加しており、「校歌を犬童球渓先生が作ってくださった学校の人?」という松岡市長の問いかけには多くの児童が手を挙げてくれ、うれしく思いました。

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